同窓会長祝辞
東京都立光丘高等学校創立50周年おめでとうございます。同窓会を代表して心よりお祝い申し上げます。 創立以来、歴代の先生方や地域の皆さまの温かいご支援、そして在校生の努力が積み重なり、今日の輝かしい歴史が築かれました。これからも母校が、未来を担う若者たちの夢を育む場として、ますます発展されることを願ってやみません。
振り返れば、私たちが学び舎で過ごした日々は、勉学や部活動だけでなく、友情や挑戦、そして数えきれない思い出に満ちておりました。あの時の経験が、今の私たちの礎となり、社会での歩みに力を与えてくれています。
昭和、平成、令和と歴史を重ね、 着実な歩みを続ける母校には目を見張るものがあり、後輩たちの活躍にも喜びを感じずにはいられません。これもひとえに、創立以来、関係各位の温かいご支援、努力が積み重なり、今日の輝かしい歴史が築かれました。
本校は、昭和51年4月に開校しましたが、新学期開始時にはまだ校舎が完成していなかったため、1期生は4月から11月下旬まで、世田谷工業高等学校の閉鎖された旧付属中学校校舎を仮校舎として授業を行っていました。練馬から2時間近くかけて登校していた生徒もいたそうです。
私は昭和52年入学の2期生ですが、当時都立高校は学校群入試制度というものがあった中、光丘高校は単独選抜校ということで都内最高4.3倍の競争率であったことを記憶しています。
校舎こそ完成していましたが、入学式は1階のピロティで行いました。体育館やプールも無く、校庭も未整備で体育の時間に石拾いをしたり、整地をしたりしました。体育祭は城北中央公園で行い、文化祭は豊島公会堂での実施でした。
当時の光が丘は、「米軍居住地グラントハイツ(旧・日本陸軍成増飛行場)」 の跡地のままで開発が始まっていませんでした。光が丘公園や団地の造成さえもされておらず、付近には本校の校舎以外に3階建て以上の建造物は皆無に等しい状態でした。
まさに学校の創設期で教職員も生徒も保護者もみんなで学校を「創造」していこうとする「気魄」と「信愛」に満ちた時期でした。
さて、同窓会は、運営の仕方や会の在り方、若い人達の同窓会離れなど幾つかの課題を抱えながら会の運営が続けられています。そして、日々学校生活を頑張っている後輩たちを物心両面から応援していきたいと考えております。どうぞ関係各位の皆様も御協力・御支援をお願いいたします。
結びに母校の益々の発展と、会場の皆様方の御健勝を祈念申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。
令和7年11月21日
東京都立光丘高等学校 同窓会長 木田 明男
創立50周年記念式典当日の様子と月桂樹





